48.落合一里塚

当地は古代の山陽道、西国街道と近代の国道2号線までずーと町内を道路が通っている.その内、一里塚は鳥上の一里塚(中野)、落合の一里塚(下瀬野)、凉木の一里塚(上瀬野大山)にあった。この落合の一里塚は、広島礼場から4里、尾道からは15里。 国道二号線を跨いで志和方面に行く県道への取り付け道路の下に「右ハ国道 左ハ縣道」の道標が建っている。明治廿四年建立の文字が見えるから、山陽本線の前身、山陽鉄道が敷設される前からの道標である。「志和分かれの道標である」和20年の枕崎台風時(1945)榎山川の大洪水で流失し行方不明であったが、河川改修工事の時発見され、平成13年地元有志によって現在地に設置された。コンクリートで固められた榎山川の西岸に「旧山陽道落合の一里塚跡」の碑が建つ「中国行程記」では榎山川の東方に一里山を描いているが、氾濫などにより川の流れも変わり、道も付け替えいつも間にか左岸に移設されている。