47.県道道標

人為人温良恭譲最好義挙苟有事関干一郷之利害者則廃業擲資紛骨砕身志必遂而止一郷推尊可知也、、、、、、、、、

現在は下瀬野瀬野派出所の近くの旧国道に立地しているが、元はJAコープの前の橋のたもとにあったものである。

「その概略は、昔の賢人の言葉に『虚名を天下に広めることより、一村で実功をあげる方が勝っている』とあるが、槇林翁はよくその責を果たしたので、これに当てはまるであろう。翁の本名は高義、通称貞右衛門,安芸國安芸郡下瀬野村の人である。人となりは温良でつつしみ深く、強い正義感の持ち主である。特に村の利害に関することなら、仕事をやめて費用をつぎ込み、身を粉にして、思い道りになるまでやめなかった。このような翁を村人が尊敬したのは言うまでもない。下瀬野から賀茂郡志和堀への県道は良く崩れていたが,翁はこれを心配して大改修をして有志に相談していった。「あの道路は、一度乱れると物資を運べなくなり、村にとって大損害となる。今、これを修理しないのは良いことだろうか。それでは大金を川に捨てるようなものではないか、その言葉には、怒りさえ含まれ、その顔には心配の気持ちがあふれていた。有志は顔を見合わせ感激し、協力を約束し、分に応じて寄付をした。この二月二十四日に起工すると翁は寝食を忘れてあちこちらとかけ廻り、工事で働く人を督励した。

そして五月十七日に完成した。これにより、道路は平坦で広く、基礎もしっかりしたものになり、息をはずませて登ることもなく,以前の十倍も便利になった.この村の翁から受けた徳は大変大きく、相談してこの碑を建ててその功績を表彰し、これを記す。

正面:右ハ国道,  左ハ県道

有志者:  五十一名略

紀元弐千五百五十壱年 明治廿四年(1891)五月十七日建之
紀元弐千五百五十壱年 明治廿四年(1891)五月十七日建之
石工 吉浦町 中本平助
石工 吉浦町 中本平助