明治5年≪1872≫9月12日新橋~横浜間に鉄道が開通した。日本の鉄道の誕生である。明治21年(1888)民営の山陽鉄道が設立され神戸~下関の幹線敷設が着手された。日清戦争が始まる直前の明治27年≪1894≫6月10日糸崎(現三原)~広島間が開通し、本郷、西条、瀬野、海田市、広島の5驛が開業した。そして、瀬野に機関車駐泊所が開設された。山陽本線上り列車が瀬野~八本松(通称瀬野八)間10.6kmの急こう配(22.6/1000)を45分かけて上がるためには列車後部に補助機関車(補機という)。を連結し押し上げねばならなかった。明治39年≪1906≫3月日本国有鉄道法が公布され山陽鉄道は「国鉄」となった。山陽本線は列車本数が増加するとともに補機も増え、大正12年(1923)4月には瀬野機関区駐泊所は広島機関区瀬野分庫と改称され、単線であったが複線化された。