この時代人々の租税の対象は稲だったが水は人々にとって命の次に大切なものでした。水を制御する棚田は高等技術を必要とする.稲田に水を引く灌漑用水として、人が通り抜けられる規模の『水洞」(スイドウ)が考案された。水洞は傾斜した耕地が暗渠で貫通し、用水と排水を繰り返す。それは耕作面積を失わず、水質、水温、水量を一定に保つことを可能にしている.そのあたりに立っていると、川もないのに水の流れる音がしている。』今、棚田はどこでも衰退の一途をたどっているが、棚田や水洞を築いた心意気はいつの時代も変わることはないと思う。今、身近な里山を見直す時、先祖たちの残した水洞は、物言わぬ教師として私たちを導いてくれる。
「環境造形研究所主宰小泉実」さん分転載。「2017年(平成29年)1月21日中国新聞より。一貫田の水洞と棚田(JAの対面)