37.八世以山龍善寺

上瀬野町一貫田  集落

治安2年(1022) 僧空心律師が八世以山の麓(栃谷、現薬師の地)に天台宗伊福寺を開基。延文3年(1358) 13世恵達和尚のときに禅宗に転じたが、21世了空禅師は継職して18年後の天文15年(1546) 濁世の凡夫が救われる道は、他力往生の道しかないと禅宗を改めて浄土真宗に帰依した。翌々年、了空法師は老人や婦人などの参拝者の便を思い、山林の八世以山の麓 栃谷から平地の北中須賀に仏閣を移した。其の後、寛永元年(1624) 23世快存法師の時現在の地東高路に仏閣を移し、寺号を「八世以山龍善寺」と改めた。寺には、広島市特定重要文化財「絹本着色弥勒菩薩画像」。「御成敗式目写本」をはじめ、禅宗様式の山門、薬師如来像、石臼の礎石「油御用所使用」等貴重なものがある。境内の大公孫樹(イチョウ)は、現在地に移った時に植えられたもので胸高幹周囲3.8m。樹高21m。広島市保存樹に平成18年(2006)3月に指定されている。以下龍善寺寺報より、

1)明治13年(1880)1月本堂老朽化により改築(再建)第三十一世住職雷震起工

 明治16年(1883)3月竣工〈八間の本堂〉昭和55年(1980)3月28日本堂屋根の瓦葺き替え。

菊間の瓦(愛媛県)から 石州瓦へ

昭和56年(1981)4月8日庫裏、鐘楼,経堂の瓦葺葺き替え。

 

2)公孫樹の木

元和七年(1621)二月広島藩主福島正則(1619)に改易.紀州より、浅野長晟(ながあきら)入城。その家臣島本仁左衛門の弟快存が第廿二世善勝以降四十年無住を知り、東高(ひがしこう)路(ろ)(現在地)を埋め立て寛永元年≪1624≫3月仲須賀依り移し再建す。その時の記念植樹が今の公孫樹の木である。今年≪2018≫年で394年の巨木である。

 

三百年以上の老木でなければないと言う『乳」という現象がある鍾乳の様に乳房状に垂れている。幹回り4m、高さ20以上。


盃状穴:喚鐘

3)盃状(はいじょう)穴(けつ)「盃状穴考(はいじょうけつこう)」慶友社(1990.5.30)発行。小早川成博(呉、歯科医、)著

 松浦宣秀(蒲刈来生寺住職)著の両名来寺。平成3年≪1991≫6月26日

日本で盃状穴が発見されたのは昭和55年≪1980≫山口市の神田山地区の第一号石棺の蓋石に施されていたもの。

2.盃状穴は旧石器時代のヨーロッパに始り新石器時代以降ユーラシア大陸等で盛行。日本でも弥生時代(約2000年前)の北九州の支石墓の蓋石に見出されているほか江戸時代末期まで続いていた。

この盃状穴は、岩、石製品に盃状、すり鉢状の穴を人間の手によって刻んだもの。穴は最初は再生を願い後に子宝、安産、豊穣を願うものと変わったようである。

 

 

龍善寺喚鐘
龍善寺喚鐘

当寺の境内には、手水鉢野縁に,大は直径⑩㎝、小は4cmで大小9つの穴がある。

本堂右側の喚鐘:施主:小松 永兵衛「割庄屋野村孫平衛の番頭」

鍛工:大阪西高津 今村善兵衛

中野、専念寺、八本松、妙福寺の鐘も今村善兵衛作。

龍善寺発行往来手形 

 

龍善寺(上瀬野町2丁目)広島市重要文化財の指定に向けて。2021.5.6.

広島市文化財審議会に諮問予定              2022.2.

 

 


龍善寺(上瀬野町2丁目)広島市重要文化財の指定に向けて。2021.5.6