3.JR山陽本線ツインカテナリ鉄塔と電力

八本松~瀬野間の上り線では、山陽本線の鉄道が急こう配の為架線がツインシンプルカテナリー式となっており(途中八本松~瀬野間に1912年から939年まで上瀬野信号所があった。(中間点の5.3㎞の所)八本松駅は山陽本線の駅の中で最も標高が高く(海抜255m)、隣の瀬野駅から当駅まで「瀬野八」と呼ばれる急こう配区間〈上り)がある。線路上に張ってある電線のことを総称して架線と呼びます。その中でパンタグラフに接して電車に電気を送り込んでいるのが「電車線です」電車線はちょう架線からハンガーをつるす形になおこの架線構造を「シンプルカテナリー」と呼んでいます。この区間の上り線だけ、急こう配に対応するために電車線,ちょう架線を2本ずつにする「ツイン・シンプルカテナリ」が使われています。急こう配のため、八本松町宗吉と広島氏安芸区上瀬野町町に変電所が設置されています。

瀬野八山陽鉄道は1894年6月10日(明治27年)に開通した。ルート決定に対し、急こう配を避ける方針で路線を敷設したが、この区間に関しては経済性を優先して最短経路で敷設したことから特に上り線は瀬野駅から八本松駅に向かって22.6パーミル、の連続急こう配区間となった。ルート決定に対し、別案で現在の芸備線沿いを通る緩勾配案や熊野町を通るルートも検討されていた。開業時の時代背景として、日清戦争開戦直前で、軍部がルート変更をしてはいけないという強い意向も存在した事実もある。この為蒸気機関車時代から現在の電気機関車に至るまで、開業以来の列車には補助機関車(補機)を連結するボトルネック区間となった。この間には「JR西日本八本松変電所」と「JR西日本瀬野変電所」の2ケ所が整備され、上り線側は、架線がツインシンプルカテナリーになっている。1894年から1986年までは(昭和61年)補機を駐在させるために瀬野駅に隣接し「瀬野機関区が設置され、中間点には1912年(明治45/大正元年)から1939年(昭和14年)まで上瀬野信号所が)まで上瀬野信号所があった

 

山陽本線 八本松変電所
山陽本線 八本松変電所
山陽本線上り 八本松変電所
山陽本線上り 八本松変電所