2.長尾の一里塚跡

寛永11年(1634)に駅や道の整備と共に一里塚が作られた。

賀茂郡内の一里塚は、上三永村日向-助実村歌謡坂―寺家村時友―宗吉村長尾にあった。一里塚は*根置14間;【10間石垣18m、四間土、3m。】

*高さ10間:【7間石垣12,7m、三間土5,5m】

*馬ふみ9間〈うち石垣6間11m、土2間、3,6m〉

 

北飯田村の塚松は、男松根一本にて4本に分かれ、枝四方へはびこり、南川上村の分:女松にてこれまた四本に分かれ枝四方へはびこり、往還を中にして双方より枝行逢いしが、男松の枝ことごとく女松の枝の上へもたれ陰陽和合の形をあらわし、誠に珍しき松に御座候と会って、一里塚は道の両側に石垣で築いた土台の上に植えられた松であったらしくこの四本ずつの枝が「八本松の」地名を生むことになった。{文政2年(1819)国郡下調帳より}「絵は、R3.12.19日くらら、八本松展にて東広島郷土史研究会が掲載されたものです」