29.大山姫宮跡(廃祀)

上瀬野町中大山氏風呂  山麓

  大山度姫神社は、『安芸国神名帳』に見える国府鎮座四十社の一で、「従三位十五前大山度姫明神」。

祭神は宗像三女神「多紀理昆売命・狭依昆売命・多岐津比売命」で、素盞鳴尊の御養女と言われている。大同元年(806)芸藩通志は、大山度姫神社は旧村社平山神社に合祀してあると言う。また、廃祠は「上瀬野村大山の内,氏輔呂と呼ぶ地にあり」今川了俊(源貞世)道行ぶりに詠ぜし大山姫なるべし,楽音字古神名帳、国府に大山度姫明神あり。

建徳2年(1371)旧暦8月30日。任地に下る九州探題今川了俊が『道ゆきぶり』に「……又の日はおほ山という山路こえ侍るに、紅葉かつがつ色つきわたりて、ははそ拍などうつろいたり、日影だにもらぬ山中に、谷川こなたかなたに流れめぐりて、岩にたたく音心すずし、ふし木などのよこたわりつつ谷ふかき上を、さながらみちにする所も侍る、「紅葉ばのあけのまがきにしるき哉おほ山姫の秋の宮ゐは」

 此山こえすぎて瀬野といふさとあり、ここもみなやまあいのほそ路なり、駿河の宇津の山のおもかげぞうかべる……」と記している。

 廃祠は、上瀬野中大山の内、氏輔呂とよぶ地に鎮座していた大山度姫宮(大同元年806創建)を天和3年(1683)平山神社に合祀、頼杏坪さん始め5名によって編纂された「芸藩通志」には

(1825)完成に「古き狛犬あり、大同年間造るという、その他,古鏡、古刀を蔵す」とある、この古刀は、大山住仁宗重作と推定され、明治天皇に献上され現在は東京国立博物館にある。ただ残念なことに大同年間【806~810】の作という狛犬一対、高さ25寸が紛失していることである。(写真)

 

〈眼に見えぬ かみにささける 誠かな〉

平山神社にあった狛犬「木製」紛失分」

 

この狛犬は、大山姫宮に在ったものと云われている。