25.櫻河内作太郎頌徳碑(一井谷トンネル災害復旧説明)

山陽鉄道の工事は明治25年(1892)より始まり、27年(1894)6月幾多の紆余曲折を経て糸崎広島間が開通、この間鉄道と立体交差にした一井谷トンネル工事が行われ、北は一飯谷里道を通って団子坂を越えると東広島市志和町奥屋、六条に抜ける里道があった。この入り口安芸郡上瀬野町357番地付近の里道は、志和から瀬野へかけて多くの人々が往来しこの旅人及び林業、農業従事者の日常生活を支えるのに大いに役に立ち立体交差にするのに古谷来次さんと共に山陽鉄道と折衝し立体交差のトンネルを開通させた多大な功績による石碑である。

 この一井谷トンネル概要はトンネル延長25m、幅1,90m、高さ3,0m(道路部分)と河川部分トンネル延長25m、幅4,5m、高さ6m、で下部石積み、上部はレンガ造りの立派な構造物である。明治25年前後の給料月8円から9円。平成28年現在の貨幣価値凡そ1円が20,000円ぐらいとすると今の金で2本のトンネル約100,000千円以上の大工事であった。今は里道管理は広島市。トンネルの所有者はJR西日本である。このトンネルが立体交差になったおかげで志和奥屋から上瀬野の村社平山神社の祭りに列をなして参拝したと記されている。「瀬野川町史より」農林業者に多大な恩恵を与えたものである。この功績に対し地元有志の皆様が石碑を建立されたものである。この道は安芸区上瀬野町から、広島市、林野庁の併用林道で、歩いて40分で東広島市志和町奥屋に通じる山道である。(山陽自動車道奥屋パーキングに)それにしても、明治時代に(1894)このトンネルを作ったJR(山陽鉄道株式会社の)土木時術者の力量には感心するばかりだ。

 128年前に廻りはレンガで作り,基礎は割石を積んだ素晴らしいトンネルである.このお陰で山陽本線と立体交差になり志和町の皆さんが大勢平山神社の秋祭りに来られたと町史に書いてあるが安全通行できたおかげでもあります。

 

北側から
北側から
南側正面
南側正面
2018,7,6日豪雨災害によって洗堀されたトンネル下部。明治以降初めて基礎部分見た。
2018,7,6日豪雨災害によって洗堀されたトンネル下部。明治以降初めて基礎部分見た。