21.松街道

寛永110年(1633)幕府巡検使が西国に派遣されるのを機に沿道には、並木松を植え、一里塚、茶屋等が整備されていった。初代は江戸時代に植えられた7本の街道松(根は類を見ない巨大なもので、内二本は2~3年前に枯れ死、まだ根っこが残っていたが、(昭和48年㋃16日中国新聞行程記とともに歩いた紀行文)其の後老松は枯れ巨大な根っこが残っていた。その後上瀬野町一飯谷より当時の自治会長の櫻河内清人氏はじめ地元の皆様により移植した二代目も平成30年(2018)10月に松くい虫にかかり枯れ、この由緒あった街道の松も令和元年7月残っていた二代目街道松も1年余りで枯れて根本1.5mをのこして撤去。残念。三代目を平成22年(2010年)4月に広島森林管理署の斡旋で布野森林組合の皆様が育てたスーパー松(広島縣農林課にて新種登録した松くい虫に強いスーパー松)をもらい受け地元の重森義夫さん、竹内洋信さんと、櫻河内が街道沿いに植樹し10年(2020年)たった現在すくすくと育っている。この街道松近辺は昔江戸時代に旅人が難所の大山峠を登る前に「駕籠立」場」=通称サイノ原(道祖原)で一休みし、旅の疲れを癒やし、大山峠を登る心構えをしたと言われている。

この由緒あった街道の松は、江戸時代から芸備名取合という本に下記の句が掲載されている。

 

    「安芸郡瀬野塚松 七本松として日本第二の 塚松といえり」

 

「芸備名取合」江戸時代二宮五社の著。 

 

2018.7 枯れかかった街道松
2018.7 枯れかかった街道松


枯れた街道松 残念


右:2018.7.1~2018.12.30松くい虫により枯れた。2020.11.月の切った後の松 

左:2020.11.11.枯れた松は市道329号線道路障害の為.切って根本のみ残す。

下:「安芸郡瀬野塚松 七本松として 日本第二の塚松といえり」二宮五社著