20.お茶原・駕籠立場跡

通称お茶原と地元の人は言っている。その西側に、駕籠立場跡があり、西に今は枯れた街道松があった。

 

藝藩通志による、海田から東へ初めて瀬野川を渡る久井原橋。サイノ原と言い.道祖原と書いた。写真の小屋の地盤はすべて岩盤でありこの辺りが旅人がこれから越えねばならぬ大山峠への登り口で大名の籠立場があったと言われ、茶屋もあり一休みして大山峠に上ったと思える。この橋は,概ね直角に立地しているがこの橋は斜めに、道なりにかかっており、江戸時代の橋そのまま架け替えたと思われる珍しい。