1.八本松駅

明治27年6月糸崎~広島間の山陽鉄道が開通当時、八本松~瀬野間(通称瀬野八)が急こう配であるため、八本松駅には、下り貨物列車に車側制動機を取り付け、また上り列車の後押し機関車を切り離すための作業員を置く「詰所」が置かれていた。その後旅客の扱いもしてほしいという地元要望で,明治28年(1895)4月4日八本松停車場として開通した。当時はきつね山と呼ばれる寂しい墓地のあるところで駅前には、一軒の家もなく、西寄りの500m~600mの所に茶屋が1~2軒あるに過ぎなかった。瀬野八本松10.6km勾配22.6/1000で半径300mカーブ11ケ所の山陽鉄道は急こう配の難所であった。この路線が選択されたのは、所論があるが経済的最短コースっだったからか、明治34年7月3日発行の山陽鉄道株式会社運輸課発行の山陽鉄道案内による八本松駅は所在地賀茂郡川上村字飯田『四面山を以て園曉せられたる一小部落に過ぎず当駅より西、瀬野驛に至る線路は四十分の一に下阪にして山陽鉄道中実に最急こう配を有する處とす以てこの区間列車には常に補助機関車を使用せり土地の状況以上の如くなるを以て駅付近名所,奮蹟等訪ふべきものなし。国道により西条に至る二里半、瀬野へは三里、志和へは二里とす。瀬野驛は安芸の国下瀬野村 山間の一小村に過ぎず名所奮蹟等記すべきものなし。志和村東北一里。中野村西一里。広島へ5里。三原駅、本郷駅河内駅、白市駅、西条駅、八本松駅、瀬野驛海田市駅広島駅の驛があった。(開通時赤印の5駅)「明治40年ごろの八本松駅駅番号JR=G08平成9年7月15日発行より転載」