10・安芸郡・賀茂郡境(広島市安芸区清山と東広島市八本松町宗吉)

 賀茂郡と安芸郡の境は、峠の頂上からはかなり西によっていて、地図上でみると約700mは離れているようだ。また、郡境の線も複雑に折れ曲がっている。山中に八本松町を飛び越えて西条町寺家の所有林が飛び地であるなど、昔、山争いの絶えなかった所とも云われていたことも、何らかの影響があったのかも知れない。

大山峠は標高607mの曽場ゲ城北側の山中の峠道で標高300mを超す難所が続いている。足利尊氏の重臣今川了俊(貞世)は、応安四年(1371)8月30日に九州探題として赴く途中にこの大山峠を越えているが「道ゆきぶり」に、「葉月晦日大山という山路こえ侍るに、紅葉かづかづ色づきてははそ柏などうつろいたり、日影だにもらぬ山中に谷川こなたかなたに流れめぐりて岩たたく音心すずし、ふし木などのよこたわりつつ谷深き上をさながらふちにする所も侍る、、、、略」ここから山道を道なりに進むしばらく進むと安芸郡と賀茂郡との郡境にかかる。「旧山陽道賀茂安芸郡境」の石碑がぽつんと立っている。藩主の往来にさいしては,郡役人がここで出迎え、見送りをしていたようだ。「通称お迎えの場」いう。

境界の図「上瀬野村史から」安政元年≪1854≫国郡志御編纂下調べ書の中に、「土地古今変改之事 当村往古大山境峠を東へ下り当時賀茂郡宗吉村飯田村境之所迄当村山所に御座候 何日の頃より寺家村飛脚之・・・」とあり現在の境とは異なっていたようだ。