7.大山線里道(東広島市)

①飯田の土石流現場
①飯田の土石流現場

山山脈は曽場が山【俗称大山】を一番北の端にして、西南安芸郡に向けて走る山脈を言い、川上村に二峯会ってその内一が城となずけられる峯は標高607.4mであって、曽場が山と並んでいるのがそれである。古くからこの山は有名で万葉集に「眞木の葉のしなふ せの山しのばずて 我が超えゆけば 木の葉ちりけむ」とあって、勢能大山と知れていた。芸藩通志に重行と云う人の歌として≪花さかりおなし夕か あきの國の せのの大峰 途や色の山」がある。実際には勢能大山は瀬野にはなく川上村内に在るわけだが、これについて、瀬野村側の文化年中の古記録(1804~1829)に、昔は大山峠を東に下り当時賀茂郡宗吉村飯田村境まででは瀬野村の山であったのが、何時の時代化か寺家村の飛郷ができ、宗吉村になり峠の五丁西より梨の木谷尻,下馬所の間古水抜の所が郡境になったと書かれている。(竹本さん地図)

我名抄、延喜式によると大山郷、大山驛が賀茂郡にあるとこらからして,ここの辺りの郡境は絶えず変動があったことが察せられる。大山峠はこの大山の北側旧街道に沿ってあり、標高337mの難所である。峠には樹齢300年に及ぶ松の大木があり(蟠(はん)龍(りゅう)の松(まつ))があり、江戸時代の大名の休憩所であった「憩い亭」の屋敷跡が残っている。 

平成30年災害復旧

H30.7.6日西日本豪雨災害復旧状況R4.1月現在

7)東広島市八本松町飯田のH30.7.6西日本豪雨災害の現状「東広島市は「里道扱いの山道」災害復旧工事の工事区分は「林野庁広島森林署」が担当:R4.1道路災害復旧工事が着々進展中