35.八世以山

 

八世以山(やせいざん) (まゆ)は三ケ月 富士媚態(びたい)月を鏡に黒髪をとく」(詠人不詳)

 

瀬野:八世以山(やせいざん)。志和:八世以山(やよいやま)。2015.7。27.*八世以山は、当地の山名の一にして故事ある 霊山也。昔雙(そう)峯(みね)の間に『白檀樹の大木』あり。凡そ二丈余上がりて、八本に分かれたり、其形八葉の蓮の如し、春、夏、秋三季には「青蓮華」に見え、冬の雪かりし時には、さながら「白蓮華」にひとし。世人自然と「八世以山」といい復「八英山」とも書く。復、後には「八世宇山」とも書く。阿岐の国造、何某かの白檀の大樹を良材なりとて伐何不思議なる哉、その伐口より『全連」を持ちたる天童あらわれ紫雲に乗り飛び去りけり。やがて、国造何某は大病に侵され死す.世の人山の徳を恐れしむ。。その後異彩の老翁きたりて郷人に話して曰く。「この山を八葉山というては言葉つまりて難し神国の風に在らず八世宇山というもあしからず、さりながら吾日本の国風に応じがたければ素直に言うべし「八世以山」という皇国の言の葉よろしとして。即ち一首の歌を詠ず。

「しばしたぐ 嵐ものこせ 八世以山 梢のうえの今日の白雪」

去って、老翁たちまち復ふたたび風人あらずしらず。世の人彼の山の雪を見ては神詠の心を感じ、その時以降「八世以山」と称へけりとなん。同上故事の伝説を記せる一巻は,何時の時代に書きしたるものとも知れず。復記者も何人とも知れず、実に古き一紀にてここに写す。持ち伝えし旧家もいまは絶家伝々。臨済宗から浄土真宗に改宗し平地の中須賀に仏閣を映した「二世了禪師文庫の反古の中にありしを記録の末に写しけり.

「現住廿二世釋了最善勝法師」筆記。