33.廃伊福寺

治安2(1022)空心律師は、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来を安置、天台宗八世以山伊福寺を開基。今地名となる、薬師堂一宇あり、本尊薬師像の背に治安二年(1に延文三戌春(1358)、御祈念所十三代無染と疑記す、今並みに現存す。 寛永年間に廃寺。畑の部分が寺の跡, 現在雑草が茂っている。


伊福寺考 第181号、龍善寺寺報(昭和60年(1985))

治安二年(1022)中夏、今の薬の地に、薬師如来(現存を安置して境内に広く天台の一坊を聞き伊福寺〈龍善寺の前身〉と号した。開基は空心律師である。

 民俗学者谷川健一氏は、著書『青銅の神の足跡』の中で「イフクのイは発語であり、接頭語である。フクはフイゴ〈吹子〉を意味する物であろう」といっている。

 その目で薬師(伊福地)から周囲を見ると、白金山、金山山、湯屋(湯はお湯の事ではなく、鉄がドロドロになった状態の事を云う)少し奥に入ると、からこう山、たたら谷等たくさんのたたらに関係ある地名が残っている。国史大辞典には、伊(い)福部(ふきべ)は「大化前代部民の一つ。五百木部,蘆城部ともかく。伊福部は吹部で笛を吹くことを掌った部であると言う言う説。景行天皇の皇子(五百木之入日子命)の名代部とみる説。伊福は息吹(いふき)の意で製鉄の際、高熱の火をえるための送風装置である踏(ふみ)鞴(ふき:ふいご)を掌ったとする説。と書かれている。

部という名は、大化の改新≪大化元年)に廃止されたので、千三百年以前のことである。

*寛仁二年(1018)の春、空心律師がこの地を霊地として一坊を建立することを志して、九州におもむいたと言われる。

*空心律師は天台の修験者ではなかろうか。豊前の国に生まれたが、そこは彦山信仰(天台系修験道のメッカ)の彦山(現在は英彦山)がある。四年後、再び当地に来りて、伊福寺を建立するが、その四年というのは彦山で修行したのではと想像する。

*井上鋭夫氏の「山の民・川の民」には「戦国大名にいよる大規模な鉱山経営が行われ始める以前、鉱山の採取、経営にあったていたのは「法印」さまとよばれる修験者。山伏の」家だったようである。、、、、険しい山々をわたり歩いて修行をつみ霊力をえて民衆にのぞんだ修験者たちはまた山中から聖なる金属類を採取しうる技術者でもあったらしい」とある。

*伊福地が伊福寺となり寺が山を下りてからは再び伊福地となったのだろうか。現在は「師」という地名である。

 

伊福寺

安芸区上瀬野二丁目6-11.龍善寺

   住職 宍戸大観   記:2018.2.11.

伊福寺の開基は、豊前の住人信家の二男にして、16歳の春、比叡山に登り受戒して空心と号し41歳にして本国に帰り、有緑の法地を求めんとして、関西に赴き、砂田の郷【一貫田】に一夜錫を止めて、早立ちせんとした時に、八世以山の西の谷より数万の鳥が群がり出て小峰に集まい、その鳴く声は山を振動するほどであった。空心は驚き八世以山の西方を見れば、小峰の下より霊雲たなびきたるを見、霊地ならんと直ちに八世以山の小峰に杉の枝を刺ししるしとし、このところに天台の一坊を建立せんと志を残して九州に赴き,諸所を遊歴すること五年、治安二年(1022)夏、46歳の時当山に来り本堂を建立し、薬師如来を安置し,別堂に釈迦如来を奉安し、楼門は阿弥陀如来を安置し、境内広く台家の一坊を開き積年の願いを込めこの山を伊福寺と号した。

 

 

開基  伊福寺開山空心律師 長暦三年 1039年 6月25日 入寂 63歳
二世  智心法師備前の人 治暦三年 1067年 正月14日   入寂 70歳
三世  随心法師 年不詳   3月5日   入寂年不詳
四世  恵照法師 年不詳   8月7日   入寂年不詳
五世  芳裁法師 久安五年 1149年 7月11日 入寂  
六世  得開法師     6月15日 入寂  
七世  佛乗院相観法師 建久六年 1195年 3月朔日 入寂  
八世  周観律師 建保四年 1216年 7月28日 入寂 60歳
九世  静念法師 貞應元年 1222年 5月22日 入寂 39歳
十世  覚恵法師     10月8日 入寂 入寂年不詳
十一世  覺圓法師 弘安三年 1280年 11月4日 入寂 46歳
十二世  世圓了法師 文保六年 1319年 11月29日 入寂  
十三世  無染 永和三年 1377年 10月13日 入寂  
無染の時、天台宗より改めて禅宗となる。
十四世  不染付着和尚 應永十五年 1408年 1月20日 入寂 70歳
十五世  直心令應和尚 應永三十三年 1426年 5月2日 入寂 39歳
十六世  見成性公和尚 長禄元年 1457年 12月15日  
一七世  不説明道和尚 文明十一年 1479年 2月17日  
一八世  即成心公首座禅師 明應二年 1493年 11月6日  
一九世  心源性公首座禅師 明應八年 1499年 3月23日  
二十世  心成眼公和尚 享禄元年 1528年1 6月13日 80歳寂
二十一世  南巌院了空 永禄元年 1558年 7月3日 81歳寂
南巌院了空の時、禅宗より浄土真宗となり、天文一七年八月中須賀に佛閣を移す。(現:高杉家)
二十二世  釋了最善勝法師 天正六年 1578年 8月17日 57歳寂

※2003年3月に郷土史研究家 故東省三さんと故上田義男さんが「伊福寺開基累代録」に基づき翻訳され提供された資料に基づいて作成されています。

2019年10月15日歴史の継承性の為転記す。