18.山陽鉄道(旧)上瀬野信号所『単線時跡』〔中間点5.3km)

明治21年≪1888≫山陽鉄道設立神戸~下関。明治27年6月糸崎・本郷・西条・瀬野・海田市・広島開通。八本松駅は明治28年4月、中野駅は大正9年≪1920≫年に開業。その間は単線であったこの時代瀬野~八本松間10,6㎞の中間に上瀬野信号所があった。上瀬野信号所は1912年(大正元年)11月20日開業。この信号所はスイッチバックの構造をしていたが、現在同地には留置線がわずかにのこり信号所の痕跡をとどめて居る。引き上げ線は当時下り線は470m、上り線は440mであった。大正12年4月≪1923年≫瀬野~八本松も複線化された。その目的を達し、1939年(昭和14年)8月21日信号所は廃止された。大正12年瀬野機関車駐泊所は広島機関庫瀬野分庫と改称。昭和21年4月(1946)には「後押し専用」の瀬野機関区として全国に知られるようになった。その後、昭和39年7月在来線は広島以東は旅客・貨物とも電化され,補機も電気機関車となった。6月30日「さようなら蒸気機関車の」セレモニーがあった。昭和60年3月瀬野機関区は廃止され、昭和61年11月には派出所も廃止された。瀬野機関区92年の歴史を閉じた。大正6年(1917)12月2日全国三大勾配と言われる上瀬野信号所で広島駅発京都旅客列車が回避線に入りたる際、速力余って終点の車止めを突破したるため、一大音響とともに機関車より3番目の三等旅客列車を粉砕し、即死者及び重軽傷者20名余りを出したる惨事アリ。

≪JR所有):今も民家の横に残る引き込み線用トンネル。
≪JR所有):今も民家の横に残る引き込み線用トンネル。
赤丸付近まで引き込み線が入っていた。
赤丸付近まで引き込み線が入っていた。